Peep's murmur : 12

高円寺事情 2 ─地震のこと─
2011/03/14

2011年3月11日金曜日14時46分。
M9.0の「東北関東大震災」が発生しました。

まず最初に、いろいろと心配してくれている友人たちへ/ぴぃやん、ケガはありません。大丈夫です。ありがとう。

まだまだ避難生活を続けなきゃいけない方々や、家、そして大切な人を失くしてしまっている方々に比べれば、ぴぃやんの経験したことは、とてもとても小さいことです。
ただ、「実際に経験した」ということを記録しておこうと思います。
心配してくれてるみんなのために。そして自分が忘れないために。

3月11日、ぴぃやんはとある音楽スタジオの中におりました。地下2階の、小さなスタジオ。居たのはエンジニアK氏とお客さんである某バンドのメンバーがひとりの計3人。「マスタリング」という作業の最中で、作業は順調に進み、さぁまとめにはいろうかという時。

ゆらあ と。最初はめまいかと思った。違う、地震だと気づいたところで、K氏が私とお客さんに「机の下にもぐれ!」上京して何度か地震に遭遇したけど、何かが違う。長い。強い。机の下で固まってると、棚にあった箱がパターンと落ちてくる。逃げ道を確保するためにドアを開け放つK氏。ぴぃやん半泣き。
が、それだけ。本当にそれだけ。揺れがおさまってみれば何事もなかったかのようなスタジオ。落っこちた箱だけが、地震の名残。
まさか、大地震が起きたなんてこれっぽっちも思わなかった。テレビをつけるまでは。
地下2階。小さなスタジオ。おそらくはいちばん揺れを感じずにすむ場所に居たんだ。

とりあえず、外に出てみる。....たくさんの人が立ち止まり、上を見て不安そうにしてる。そして誰もが携帯を手に誰かと連絡をとろうとしている。ぴぃやんもあわてて、実家の母に「大丈夫だよ」と連絡しようとしたけど、つながらない。スタジオへ戻って、固定電話を借りると何とか繋がった。母に「心配いらないから」とだけ伝える。宮城に多く親戚のあるK氏も連絡をとろうとしてるけど繋がらない。
そうこうしてるうちにテレビ画面にまるで映画みたいな津波が映し出された。ヘリからの映像では走っている車さえ飲み込む速度。あっという間。まるでミニチュアでの実験のような津波。

震源近くの様子はテレビで見た人も多いと思うので、あえて詳しくは書きません。私が書けるのは、私が体験したことだけなので。
そう、東京は公共交通機能が麻痺。電車は地下鉄も全部ストップ、かろうじて数社のバスが走ってるだけ。無事だけれど、ぴぃやん目下の問題は「どうやって家に帰るか」。夕方になり、帰宅ラッシュの時間、動いてない電車に呆然とする人や、諦めて会社に戻る人、そして歩いて帰宅しようとする人で歩道が満員電車状態。ぴぃやんはここでもラッキー。車で来られてた方に、近くまで同乗させてもらえることになった。
とはいえ、道路も大渋滞。普段なら30分くらいで帰れるところが、2時間かかった。Oさん、本当にありがとうございました。適当なところでおろしてもらい、てくてくと30分歩いて午前1時、無事帰宅。

無事、ね。帰宅はね。

甘かったんだ。
地下2階のスタジオだったんだ。
箱が1コ落ちるくらいにしか思ってなかったんだ。

私の家は、3階だった。

まず玄関開けると充満してたのはお醤油の匂い。
なんじゃと電気をつけると、目の前のキッチンの惨状....いろんなもんが吹っ飛んでる上に醤油まみれ〜(爆)。幸い、食器の類は山が崩れただけで割れたものはなし。
それをまたぎながら奥の部屋へ行こうとすると、途中洗濯機を入れてあるスペースの、折りたたみ式の扉が中途半端に折りたたまれた状態で行く手をふさいでいる。どうも内側にいろんなものが落っこちて、開くことも閉じることもできない様子。改善を試みたがビクともしないので、そこで手にしていた鞄やら上着やらをとりあえず脱ぐ(すでに汗だく)。折りたたみ扉のわずかな隙間から、やっと部屋の中へ。部屋っつーか。瓦礫の山の中へ。CD、本、姿見、鉛筆立ては全滅、ぱっこーんと2つに割れたスキャナ(泣)。あと際どかったのが、買ったばかりのDVDプレイヤーとFAX。棚から落ちる寸前。さらに怖いのがCD500枚が入ったダンボール。これも棚の上においてあったのが30cm飛びだしていてやっぱり落ちる寸前。

しばし呆然としたかった。できれば何も考えず放心状態に....。

が、そんな余裕はぬぁい!

とにかく余震も来てる以上、危険危険ピーピーなものをどうにかしなければ!まず空から降ってきそうな危険物を押し戻し、片付け、足下に散乱したものをあるべき場所へ戻し....って書くと楽そうね(爆/必死でしたですよ)。どうにか部屋を床が見える程度まで片付け、次は折りたたみ式の扉。とにかくどーやっても障害物に手が届かない。仕方ないのでわずか1.5cmの隙間からバランスをとりながら障害物をひとつひとつ取り除く。最後の1コをどけたときはガッツポーズ。そして残るは、悲しいキッチン....。も、明日にしようかなとも思ったけど、こういうことは絶対勢いで済ませるべきだと判断。まずシンクに醤油まみれの調味料の小瓶やらコップやら、とにかく洗うべきものを片っ端から放り込み、醤油の海と化したクッキングヒーターはトイレットペーパーで吸い取り作戦。我ながら、よくやったと思う。普段の掃除なんていい加減なのに。
そんなこんなでどうにか寝られる状態に....って4時か....。でも今、まさにこの時間まだ家に帰れてない人もいるんだ....それを思えばぴぃやんやっぱりラッキー。

ってか 何がいちばんラッキーって、地震の真っ最中に家に居なかったことでしょ。少なくとも何らかのケガはしてたはず。たぶんパニクッてたと思うし。
....そして学んだこと。ココとココにはものを置いちゃいけない、この向きもダメ、これもそれも片付けなきゃダメ....いっぱいある。まだ、できてないけど、「いつかやろう」じゃダメなこともわかってる。
地震の街で生きてくには、それなりの覚悟と対策が必要。今回よくわかった。

ぴぃやん、上京してはや4年。
まだまだ半人前。頑張る。

最後に。
今現在被災地で苦しい思いをされている方々、どうぞその苦しみに少しでも光が射しますように。
できる支援から、小さなことからでもしていこう。

皆様も、どうぞよろしくお願いいたします。


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